社長のひとりごとCOLUMN

社長のひとりごと
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2024.07.05 能力は共有財産

 ある寓話を紹介します。
 ぶどう畑の主人が、朝早く起きて人を雇いに出かけた。1日10ドルで雇うことにした。9時頃に市場に行くと、ぶらぶらしている人がいるので、「私のぶどう畑へ行きなさい。1日の日当をもらえるでしょう」と言った。12時と3時ごろにも同じようなことがあって、また夕方の5時頃に市場へ行ったら、まだ仕事をもらいたがっている人々を見つけた。「働きたいならば、私のぶどう畑に行きなさい」と言った。日暮れになって、主人は会計係を呼んで、働いた者に給料を支払うように命じた。そして、夕方に来た人たちから10ドルずつを与え始めた。朝早く来た人は10ドルより多くもらえるだろうと思っていたところ、やはり10ドルしかもらえなかったので、主人に不平をこぼした。「私たちは1日中、暑さと闘って働いたのに、夕方にやってきてちょっと働いた人と同じでは不公平だ」と。それに対して、主人はこう言った。「私は君に正しくないことをしたのだろうか。10ドルの約束に半分しか支払わないとでもいうのか。君は約束した日当をもってさっさと帰れ。夕方に来た者にも、私は同じ賃金を払いたいのだ」。
 この寓話を読んだ後は、誰もが普通とは違う感覚をもちます。我々の常識は、賃金は労働時間の長さや成果に対応すると思っているので、当然であり、そこに人としての努力の結果が表れるので、所属する組織体も発展していくと思っています。
 ではなぜこの寓話が生まれたのか?人としての理想社会を思い描いたとき、この寓話に気づかされることがあります。それは人間としての価値は、能力があろうとなかろうと「かけがえのない存在」であり、労働時間や成果によって評価されるべきではないという考え方です。
 この考え方をどう活かすかというと、職場で「2-6-2の法則」があることを知っていますか。2の落ちこぼれを切っても、6の中からまた新たな2が生まれてくるという法則です。ですから職場全体を底上げすることが肝心になるわけですが、人はすべて「かけがえのない存在」であることを知れば、この2のおちこぼれを潰すのではなく、力を発揮してもらうために、いろいろな形で回りが支えていくことが大切だと思います。
 この寓話は、人の能力の高いも低いも社会の共有財産であることを教えてくれます。

合掌

2024.06.05 「習慣を変えると性格が変わり、
性格が変わると運命が変わる」

 最近、この言葉が気になります。「習慣を変えると性格が変わり、性格が変わると運命が変わる」。味わえば、味わうほど、深い言葉のように思います。
 人は誰しも幸せな生活がしたいという欲求があります。誰とでも仲良くしたいし、自分のことを深く理解し、優しい言葉を掛けてくれて、落ち込みそうなときも、その人の言葉で一遍に元気が回復してしまう、そんな方がたくさんいる「笑顔いっぱいの生活の人生」に憧れるのではないでしょうか?
 この言葉はそういった人生になる運命を形作るためのキーワードであるに違いありません。まず、習慣を変えるとはどういったことでしょうか?
 それは大きくは、毎日0.1%の努力を続けることです。0.1%をバカにしてはいけないです。1年続けると1.001X365乗=2.074。驚きますね。
 具体的には、毎日5秒だけ早く起きます。すると2年後には、1時間も早く起きれるようになります。清澄な空気の中での行動は人を健康にしますし、5秒を守り続けることで、時間を守れる信頼の厚い人間になれます。
 また、挨拶の声を0.1%だけ毎日大きい声にしていきます。2年経ったら大きな声になり、皆に存在感を与える人になります。
 そして、掃除の範囲を毎日0.1%だけ広げたり、念入りにやります。2年経ったら、いろいろなことに気付いて、人の役に立つ人になることができます。
 どうしてでしょうか?この小さな0.1%の行動を2年続けた人の性格は、とても前向きに言葉を発し、人々に勇気と元気を与える性格になっているような気がしませんか?
 そして、その性格で、多くの出会いをしながら、更に学びを深くしていけば、最初に記した「笑顔いっぱいの生活の人生」へ運命転換できると確信しています。
 最後にこのようにも言い換えることができます。「習慣に気をつけなさい。それは性格になるから。性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから」。
 ぜひ、一人ひとりのほんの少しの努力で、良い習慣を身に付けてまいりましょう。

合掌

2024.05.01ラストホープ~大和ごころで生きるとき

 白鳥 哲という映画監督をご存じでしょうか?
 過去に長編、短編合わせて30本以上の映画を監督していらっしゃいます。一部を除いて、ほぼ自主上映ですので、あまり知名度は高くないのですが、彼の映画はいつも強いメッセージが込められています。先日、JR名古屋駅西口の小さな映画館「シネマスコーレ」に行き、最新作の『ラストホープ ~マインドコントロールを解き放つとき』を鑑賞しました。偶然だったのですが、なんと白鳥監督ご本人が登場して、舞台挨拶を聞くことができました。もちろんこの映画を撮った意味を主題とした挨拶でした。
 その挨拶の中身を記します。驚くべき内容ですが、事実です。

  1. 宇宙から見えるこの地球は宝石のよう。
    この美しい地球を守るために、どうすれば人間だけでなく、生きとし生けるものすべての命が共存共栄できて、循環し、持続可能な世界にしていけるのかを各カテゴリーに分けて映像化している。
  2. 「医療」:西洋医学は、戦場で生まれた療法で、対処療法という。症状は自分で自分を治そうという自然な行為。症状を消すことが目的の西洋医療は緊急医療であり、免疫が不活発になり、治りにくい体質をつくることになる。今、全ての日本人の医療は西洋医療。心、魂、体を診ていく全体医療に移行させたい。
  3. 「エネルギー」:原発の廃棄熱で、近海の海は水温が7度も上昇している。生態系を破壊している。核廃棄物は高い放射線をもったまま捨てられている。六ケ所村は残り23年しかもたない事実がある。そこで、水や水素で発電できるといった内容の映画を作ろうとすると、なぜだか、上映できなくなる。産業構造の壁である。
  4. 「防衛・外交」:自衛隊機は日本を護っていない。なぜか?横田空域、嘉手納空域、岩国空域、レッド空域やピンク空域など、ほぼ日本空域を自衛隊機は飛ぶことができない。アメリカ機のみである。制空権がないのである。
  5. 「コロナは不自然で不可解」:自然免疫を高める情報は消された。免疫の専門家は排除され、感染症の専門家ばかり。朝昼晩とワクチン接種のCMが浴びせるように流れ続けた。PCR検査では、必ずしもコロナでなかったのに、風邪でもインフルエンザでも、全て、コロナにされてしまった。
  6. 「死亡人口」:2020年は過去最高に死亡者が減少。行動制限で、腸内細菌が整って少なくなった。ところが、2021年にワクチンが始まってから増大。現在、大都市の火葬場では2~4週間待ちの状態。後遺症に悩まされている方が多い。
  7. これらのことを知り、その上で、どう生きれば良いのか?:誰もが恐れる「死」は恐れるものでなく、死ぬ瞬間まで、どう生きるかが大切。良心に従って生きる。日本の大和魂、「大和ごころ」をもって生きれば、何を恐れることもないだろう。

合掌

2024.04.01自分を表現する喜び ~コメント朝礼~

 弊社の名古屋市東区にある本社で、ある試みを始めました。それは3分間スピーチです。私も含めて11名の人員ですが、毎日順番にスピーチをします。普通は話を一方的に聞くだけですが、試みとして私も含めた役職者がこの話にコメントを述べます。いわば対話型の3分間スピーチです。この時間が大いなる学びの時間になっています。
 うるう日の少し前にこんな話がありました。「なぜ、うるう日があるかというと、地球は実は365日と6時間で公転している。だから4年で24時間、つまり1日余分のうるう日を作り、公転の時間をリセットしている」と。なるほど言われてみれば簡単な理論ですが、とても腑に落ちました。この話に対するコメントは「何気なく使っている通常の言葉の中身には『なるほどそうだね』と納得できる深い意味が隠されていることがある。意味を考える癖を持つと、言葉が面白くなる」でした。
 また世界卓球があった翌日には、「昔の卓球の試合で、球が台の角に当たって点が入ったとき、『ラッキー』と言って喜ぶのが一般的な選手でしたが、今はそのように点が入ると、頭を下げて謝る選手が主流です」というスピーチがありました。この話のコメントは、「剣道では一本決めた後も喜んだり、ガッツポーズをしたりすると有効と認められないこともあります。卓球も日本の武道に通じるものが出始めましたね」。世界のスポーツも礼儀という意味において、どんどん進化している。その変化を巻き起こしているのは、やはり日本の相手を思いやる文化ではないかと感じ入りました。
 この3分間スピーチを導入して約3カ月が経過して気づくことは、人は自分の思いを言葉にして話すことができるようになると楽しくなるということ、人はプライベートな話をすることで親近感が湧くということ、それと上司の考えが伝わる場所をもつことは職場の人間関係においてとても大切だ、ということです。義務感でやっている社員さんもまだおられると思いますが、そこから脱皮して、この場で自分を表現し、皆から理解される場所と捉えると、会社へ行くのが楽しいウエルビーイングの状態になっていくと思います。
 弊社も全国に部門があります。社員さんのスピーチにコメントできる部門が広がっていくと、更に楽しくなっていくと思います。部門長の皆さんに、是非、そんな場所を作っていただきたいと思っています。

合掌

2024.03.01継続する力を養うために

 相田みつをさんの「毎日少しずつ それがなかなかできねえんだなあ」という言葉があります。我ら凡人は、一つ心に決めたことがあっても、数日経てば、その熱い思いはどこへやら。いつもの代わり映えしない日常となり、やはり自分は根気がないなと落ち込んでしまうことがままあります。みなさんも心あたりがあるのではないでしょうか? 自分もその一人です。
 磯野会長は継続の達人でした。朝4時起床、迫間不動尊参拝、プラ組合の理事長、ロータリー例会出席、民謡の会の会長。他にも何十年も続いた数々の事柄がありました。継続できたからこそ、一代で100億円企業が創れたのだと思います。ひとつこれをやると決めたら、石にかじりついてもやめないという覚悟がありました。
 どうしたら、我ら凡人も継続できるようになるのでしょうか? イチローさんの言葉にヒントがある気がします。
 「今、自分にできること。がんばればできそうなこと。そういうことを積み重ねないと遠くの目標は近づいてこない。」
 自分に与えられた仕事の中で、少しがんばればできそうなことにチャレンジしていくこと。やり方を見直して、改善していくことではないでしょうか?
 そして、継続できない理由に、時間がないという方も多いですが、直江文忠さん(台湾生まれの実業家)の言葉に「朝の1時間は昼の3時間に匹敵する。生産性が飛躍的に向上する。」とあります。
 継続するための時間がないと思っている方は、まず早起きを継続することから始めたらいかがでしょうか? 朝の空気はとても濃厚であり、エネルギーに満ちています。体にやる気を与えてくれます。寒い冬の朝に、暖かい布団から元気に飛び出すことで、強い意志を養い、なんでも継続できるようになる時間とパワーが与えられるようです。
 日頃から社訓の「気力、関心、責任」が少し落ちてきたと感じる方は、まずは早起きを習慣化したらいかがでしょうか? きっと楽しい人生が待っているに違いありません。

合掌

2024.02.01「それでもなお、人を愛しなさい」~逆説の10ヵ条~

 弊社は57期から「一人ひとりのウエルビーイング」を年度スローガンにしています。個人の幸せを追求し、肉体的にも精神的にも社会的にも健全な状態をつくり、地域や会社や社会に貢献できる人になることです。このウエルビーイングを達成していくためにどんな心掛けが必要なのでしょうか。
 毎日与えられている24時間を漫然と過ごすべきではないはずです。自分にとって気にいらないことがあると、話の合う仲間を見つけて愚痴をこぼすことではないはずです。「それでもなお、人を愛しなさい」副題として、「逆説の10ヵ条」という本を紹介します。そこには「一番大切なこと」として、「生きる意味に満ちた人生を送るにはどうすれば良いのか」とあり、「その指針を示す」とあります。10ヵ条の内、5ヵ条を記します。

  1. 人は不合理で、分からず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
  2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
  3. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
  4. 正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。
  5. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。

 いかがでしょうか?私には、とても込み上げてくるものがありました。人生訓にしていきたいと強烈に思っています。この作者のケント・M・キースさんが、ハーバード大学在学中に提唱し、学校の広報誌に掲載されました。巡り巡って、マザー・テレサがこの言葉に感銘を受け、カルカッタの<孤児の家>の土壁に彫られた言葉、つまりマザー・テレサが孤児たちにいつも触れさせたい言葉になったことを31年後に知ることになるのです。信じがたいことで、とても感動したと表現しています。
 彼は言います。「世界がどんなに狂っていたとしても、人は人間としての意味を見つけることができると私は確信しています。同時に、他人から認めてもらうことや拍手喝采を受けることに心の焦点を合わせる代わりに、人間としての意味に焦点を絞って逆説的な人生を生きたなら、この世界はもっと意味のあるものになるだろうとも確信しています」
 混沌とした時代。逆説的なウエルビーイング達成のための考え方です。味わって頂きたいです。

合掌

2024.01.09謹賀新年 ~衰退する年賀状への想い~

 輝く2024年の幕開けです。

 本年もみなさんのお力添えを頂戴し、ウエルビーイングを共通の想いにして、資源循環型の企業としてプラリサイクルを通じて社会貢献して参ります。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 新年の幕開けというと年賀状を読むことが自分にとって一番の風物詩になっています。年賀状は既に古臭い文化となりかけて、頻繁に今年で年賀状を止めるという挨拶文をいただくようになりました。聞くところによると、7年前の半分の13億4千万枚しか、配達されないようです。まさに衰退の一途をたどる年中行事になっています。メールのやりとりが当たり前になっている昨今、改めて正月に挨拶を交わすこともないということでしょうが、そこを敢えて年賀状を出すのです。もちろん年賀状のやりとりしかなくなってしまった人もたくさんいます。そんな人たちも、今でも無意味ではないと考えています。61年の人生の中で、とても大切な時間を共有した、貴重な人々だと思うからです。その人に年賀状を出す時、ふと昔の姿を思い出しながら、同時に自分の若い時のことも思い出して、恥ずかしいことばかりだった自分を笑ったりするのです。

 今は、残念ながら、名刺交換して、いろいろなお話ができて、年賀状を書いても、返信されるのは10人に1人くらいです。自宅の住所を簡単に聞ける時代ではなくなったため、会社に出すことはありがた迷惑な感覚も受けます。新しい方に出す年賀状の枚数も一向に増えなくなってしまいました。そしてやはり、謹賀新年の言葉や住所は印刷でも、手書きで一言コメントを添えます。今はおつきあいが無くなってしまった方には「いついつまでもお元気で」などの簡単なものです。毎日会っているような人たちには、元気が出て、やる気が生まれるような比較的長文のコメントを添えます。こちらが、懸命に書いていると、不思議と相手にも伝わり、翌年からは、心と気持ちの伝わる年賀状として返ってくるようになり、何度も繰り返し読ませていただいております。

 初詣に行って、帰ってきたところにみなさんから届くコメント入りの年賀状を読むことが、自分にとって年始の一番の楽しみであり、また、1年みなさんと共に乗り越えていくぞ、と誓う瞬間になります。

合掌